願はくは 桜の下にて春しなむ
そのきさらぎの 望月のころ
西行法師が詠んだように
私も桜を眺め、ゆっくり目を閉じてこの世から消えてしまうなら悪くない。
そして私の命があの人に、あの子に分けてあげられるなら。
そんなことを思うくらいには私はなんだか今命に執着できなくなっている。
こんなのは偽善だ。
気持ちの悪い最低の偽善だ。
こんなことは口にしてはいけない、書いてもいけない。
だけどあえて書いた。
そう思う自分がたしかにいるから。
そんな本当に疲れはてた最低な私が居て嫌になる。
私にはまだ息子を看取るかもしくは彼を看取ってくれる施設を探すという苦しみを乗り越えねばならない。
命を手放すことは出来ないのだ。
考えただけで涙が出る。
いきるのは怖いが生きねばならない。
私は母になったのだ。
息子が産まれたのは春ではない、抜けるように青く高い高い空金木犀の香りが漂う頃だった。
36週0日。
私は病院に管理入院していたが、朝食後大量出血しすぐ帝王切開が決まった。
そして、産まれてすぐ呼吸が止まり、ミルクも飲めず、診きれない‼️と別の病院からドクターカーがやってきた。
そして、息子は重度の心疾患で手術が決まる。
ムンテラのために訪れた重症児病棟は私には衝撃的であった。
知識がなかったのだ。
生存率3割。
生きていてもこの病棟の子供たちが息子の将来なのかと思うと私は
リセットできたらいいのに。
手術成功しない方がいいかも。
息子の命をあきらめた。
口にしなかったがきっと家族の何人かはそう感じていただろう。
息子は生きた。
今も生きている。
20才になった。
あの時助からねばいいと思った私はまだ母ではなかった。
そして人間としても未熟だった。情けなくて恥ずかしい。
そして、いま私は母なのだ。
息子より一日だけ長く生きねばならない。
無理かもしれないと虚弱な自分に不安になりながらやはり生きようとしている。
だから私は偽善者だ。
だけど疲れたんだ。
本当はね。
でも命ってものはそんなものなのかもしれない
ままならず
苦しい絶望と
煌めく希望に満ちている。
表裏一体、天秤のようにゆらゆらと揺れている。
息子より一日だけ長く生きねばならない。
天使になった息子の友人たちの生きたかった未来を与えられた命の分生きねばならない。
ヘラヘラと楽しい日々を過ごしている私と
暗い淵の端近いところをふらふら歩く私がいつも共存している。
このblogには息子のこれまでの闘病を母の視点から書いていきたい。
私は封印していた昔の育児日記を開いてみようと決意したのだ。
命のかたまりのあのバッグの蓋を開ける。