きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

昔の事

逢魔が時の屋上にたつ

発育相談、就学相談。 そういう今後の見通しを宣告されるイベントが年に一度ある。 私はたしか三才の息子を連れてはじめて参加した。 療育からの勧めで、未熟者の私はかなりお気楽にからあげくんと二人で医者や、保健師などがいる場所に足を踏み入れた。 お…

哀しい言葉は嬉しい言葉

言葉とは表裏一体。 同じ言葉が言祝ぎの言葉にもなり、呪いの言葉にも化ける。 だから、あのお父様は素晴らしかった。 悪くない。 おめでとう!ありがとう、元気な子を産んでくれて‼️ようやったのー。頑張った。 からあげくんがドクターカーで運ばれた後に出…

脳障害?良かった💕

私が傷ついた言葉ベストテンに絶対はいる悔しい言葉です。 からあげくんが脳障害が出るだろうとわかったとき。 からあげくんと同じ歳の赤ちゃんがいる身内の年下の子にいわれました。 え?脳障害?良かった‼️ と。 信じられないでしょうが事実です。 これで…

からあげくんと寄宿舎

からあげくんは中学の2年から五年間を寄宿舎で過ごした。 学校までが遠かったということはもちろんだが。 一年の時はスクールバスで通っていたからそれだけが理由ではない。 小学生の頃から自傷、母への他害が始まった。 知的だけではなく発達障がいが潜ん…

まる、断念する。

封印していた育児日記を読み、このblogにまとめ直そうとしたのですが、早々に撤退しました。 と言うには早いかな、スピードダウンしたいとおもいます。 あまりにも強い、当時の己の感情に圧倒されて気絶するように午睡をとらねばならなくなりました。 なんと…

記録がない理由

私は紙の育児日記のあと、 ホームページビルダーというソフトを買ってホームページを作った。 よくもまぁその時間をひねり出したと思うが。 情報が欲しくて、仲間が欲しかった。 blogすらない時代には自分でホームページを作る位しなきゃ私の欲望は叶えられ…

ママ、いつも泣かせてごめんよ。

からあげくんは、たくさんの友人をみおくりながら生きてきた。 夜遊んでた子のベッドが朝に空っぽになること。 また会おうね。 と言う約束が消えてしまうこと。 次会うのがお葬式だったこと。 彼は小さいながらに色々な感情を胸に秘めていたんだろう。 から…

旅する車イス

障がいを隠して生きるような事はしない。 息子の体調が許す限り普通の家庭?と同じように楽しく生きたい。 ゆったりたくさんの体験を家族でしよう。 それが私ととんかつくんの共通の思いだ。 コロナ禍以前は感染の危険が少ない時期はショッピングにも旅にも…

からあげくんは走りたい。

からあげくんは小さな頃自分が年寄りなんだと信じていた。 だから ねぇママ、からあげくんが子供になったら薬も飲まんでよくなって、走れるようになる? 法事の席で走り回る従姉妹やまた従兄弟をみてそう言ったのだ。 笑って、からあげくんは子供だよ。 年寄…

からあげくんは中折ハットがお好き。

からあげくんは足が悪い。 まっすぐ立つのも出来なくて。 歩くための鉄と皮の重たい膝下までの装具を履いている。 それでも距離は歩けないから車イス‍は必須。 はじめて数秒たったのは四歳半 はじめて一人で歩いたのは五才4ヶ月 学校時代は保護帽子を勧めら…

二人の父さん

ミニまる日記の次は なんと。 なんと! 父である とんかつくんの業務連絡もしくは実験記録 的な時系列箇条書きの闘病の記録が二冊ほどある。 とんかつくんも、私まるも技術者養成学校とも言える高専の卒業生だ。 教育とはすごいもので、私達の育児にはこの経…

からあげくんの病歴と、障がい

息子は先天性心疾患をもち産まれてきた。 先天性心疾患は大人の心臓病と違う。 奇形だ。 そして、かなり確率高く発生する。 もちろん、重いものとなると確率は下がる。 からあげくんは一万人に一人程度と聞いた覚えがあるがなにしろ昔なんで記憶は曖昧だ。病…

からあげくん どんなに育ってほしい?

長年、封印していた育児日記を開いた。 どさっとノートで出てきた分はまだまだ初期の日記。 それ以降の分は無くしてしまった。 blogのない時代に私はHPをつくり、日記をこまめにあげていた。その後blogに移行したがそれはある日いきなり閉鎖し削除した。 理…

願はくは 桜の下にて春しなむ そのきさらぎの 望月のころ 西行法師が詠んだように 私も桜を眺め、ゆっくり目を閉じてこの世から消えてしまうなら悪くない。 そして私の命があの人に、あの子に分けてあげられるなら。 そんなことを思うくらいには私はなんだか…